アントワネットの裁判が行われた裁判所
コンシェルジュリー は、その隣にある。
アントワネットがギロチンに送られる前に過ごした場所。 最期の場所。
独房の再現
ブルボン王家の百合の紋章がズタズタに引き裂かれた壁。
アントワネットに見せつけるために、わざとそうされたという説もある。
常に監視下におかれた状態。
ここで書かれた遺書は、
歴史博物館に展示されている。
二階には、ギロチンの犠牲になった人のリストが。
何千人という名前が、アルファベット順に並んでいる。
ロベスピエールとか知っている名前を探しまくった。
サンジュストが見つからなかったー。 フランス表記だと違うのかしら??
似たような名前はあったけれど、確証が持てず。
そして、偶然にしては、あまりにできすぎた偶然。 並んだ二人の名前。
人によって、大階段を上るスピードが違うの。 一歩一歩。
ひびき美都さんのアントワネットは高慢さがなくて、可愛らし過ぎるんだけど、
この最期の場面は、彼女が一番好き。 気品があると思う。
髪を切っているところが史実に基づいてお気に入り。
しかも、その直前の場面まで髪が長いの。 そういう芸の細かい部分が好きー。
フランス女王が断頭台へ。 一歩一歩。
皇室のそれに通じる歩くスピード。 王家だな、と。
いざ、という時、どう振る舞えるか、それこそが人間の本質。
ルイ16世の最期も、とっても立派だったし、
マリー・アントワネットもまた、立派な女王であったと思う。
何がそうさせるのか、、、誇りというものかしら。
この瞬間、彼らは人として尊敬に値し、その地位にふさわしい人物であったと
思わざるを得ない。 もって生まれた気品って、あるよねぇ~としみじみ。
バスティーユ牢獄の石で作られたコンコルド橋、革命の始まり。
そして、アントワネットがギロチンで処刑されたコンコルド広場。
アントワネットの悲劇の始まりと終わりが一つに集まった場所。
18歳で王妃となったマリー・アントワネット。
1793年10月16日12時15分 処刑。
後、2週間で、38歳を迎えるはずだった。
その遺体は、無残な扱いを受け、のち、
1815年1月21日、
歴代のフランス国王が眠るサン=ドニ大聖堂に夫のルイ16世と共に改葬された。
あなたは 私の胸の中にいつまでも生きています
あのベルサイユに咲く紅薔薇のように
さようなら ヴェルサイユ
さようなら パリ
さようなら フランス