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2013年 05月 05日
嵯峨野の奥深くにひっそりと平家物語「祇王」ゆかりのお寺。
行くならこの日と、いくつか候補があって、ベストな日に訪問できたことが嬉しいな。 平清盛の寵愛を受けていた白拍子、祇王。 御前で舞を舞いたいという仏御前を門前払いにする清盛だったが、祇王がとりなし仏御前は今様を舞うことができた。 たちまち清盛は仏御前に心を移し、祇王は館を追われることに。 形見に障子に一首詠んで去る祇王。 萌えいづるも 枯るるも同じ 野辺の草 いずれか秋にあわではつべき にもかかわらず、仏御前が退屈しているから慰めよと清盛に呼び出される祇王。 このような憂き目に二度と会わぬようにと都を出て尼となり、この祇王寺で母、妹とともに仏門に入る。 そんな時、庵を訪ねてきたのが仏御前。祇王の書き残した歌に、自らの無常をも感じ、館を出てきたのだ。 受け入れる祇王たち。 みな往生の本懐をとげたとされる。 (内部、撮影禁止) 仏間には、祇王たちの4人の他、清盛の木造が安置されているけれど、清盛だけは、正面から見えないよう柱に隠れておかれている。 祇王さん、穏やかな優しそうなお顔をしていたなぁ。。。。。 控えの間には、影が虹色に見えるという吉野窓があるんだけど、障子が開いていたので、 虹色は見れなかったなぁ。 閉めてあっても、光の加減で運が良くなければ見えないかも。 お墓には、仏御前以外の3人の墓と清盛の供養塔がある。 清盛の供養塔がある、というのが面白い。 人はいう、奥嵯峨、悲恋の舞台、と。 ここに眠るのは3人。 あまりに綺麗な鈴の音に思わず。 ささくれ立った心を鎮めてくれる透き通った音がする。 祇王が亡くなったのは,1172年(38歳くらい)とされる. 一方,平清盛は 1181年. 1172年と言えば,平家の没落の芽が露わになり始める前. まだまだ平家の世. 祇王は,平家の顛末を知らずに亡くなった.最期まで清盛は時の人. この静かな緑溢れる庵で,毎日仏念仏を唱え,何を思ったか. 清盛の館にいたという「肩書」があれば,この時代,いくらでも,貰い手はあっただろうに, あっさりと仏門に入ってしまった. 栄華を極めた生活から,一転した生活だったはず. 世の無常を感じたか,一途だったのか. 今風に詠うなら,中島みゆきの「孤独の肖像」ってところかしら. ♪ 悲しみは あなたを失くしたことではなく ♪ もう二度と だれも信じられなくなることよ 一途だったから,世の無常を感じたのかな…と,思ってみたりする. 源氏物語もそうなんだけれど,この時代の女性は,みんな結構,簡単に尼になって,庵で暮らすのよね.男性の援助なしには生計がなりたたないのに,どうやって生きていたんだろうかと. いまだに,謎だらけ. すぐお隣は、平家物語「滝口」の舞台,滝口寺. 入口を間違えそうなほど。 平家物語は、まじめに読んでないし、チラーチラーっとしか知らないんだけど、 祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり 沙羅雙樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し の有名すぎる書き出しと、祇王、滝口、そして、あといくつかの戦の場面のみ(那須与一とか)が、なぜか鮮明に印象に残ってる。 古文のテストに出たよねー、暗記させられたよねー。 ところで,祇王と仏御膳の関係. 平家物語は,ある程度史実を記録したもの,という認識というか位置づけになっているけれど,フィクション部分も多いんだろうね. 細かい考察は,ネットをググれば wikiも含めて,ドサドサ出てくるので, そちらに任せるとして,,,, 祇王と仏御膳は,たぶん,会っていない. 仏御膳は 1160-1180年.で21歳ほどで亡くなっているとされる. 祇王が1172年に亡くなった時は,まだ12歳! 16歳くらいの時に清盛の館に行ったはずなんだけど,その時は祇王はもういない. 仏御膳が清盛の館を半年で出てきたことを正しいとするなら, 20歳程度で亡くなったとするのを正しいとするなら, 祇王と仏御膳が出会うことは出来ないのだ.全然年齢が合いませんっ! という訳で完全なるフィクション説が根強い「祇王」. 物語なので,いろんな脚色がついて,いろんな話がごっちゃになってるのでしょうね. そうなると,祇王寺に仏御膳のお墓がないことにもうなずける. けれど,その時代,平の清盛の寵愛を受けた白拍子はいたでしょう. 勢力争いに負けて,去って行った白拍子も,世の無常を感じ仏門に入った白拍子も. その時代にいたかもしれない白拍子,一人の女性の物語. フィクションでもドキュメンタリーでもいいよ. その時代に思いを馳せて,この緑に囲まれた静かな庵で,そっと手を合わせてみる. 祇王さん,心穏やかにお過ごしですか. もう少しで祇王が亡くなった歳になる. 祇王さん,お話してみたいよ. 平家物語の続きとして,真しめやかに語られること. なぜ,仏御前は,最後まで祇王たちと一緒に往生を遂げなかったのか. 一説によると,仏御前は途中で祇王寺を出たらしい,と.懐妊していることが分かって庵を出たという説あり. 別れに情をかわしたか・・・・ある意味,これこそ悲劇. それに関連して故郷での言い伝えも色々あって,これはこれで興味深い. 平家物語の女性陣はそういう話が多いよね。平家自体が没落したし,物語全体としてね. 祇王の竹林、祇王の小路 タケノコがニョッキニョキ生えてたー。 こんなに大きいと美味しくないよ。 こんなマイナーなところ、人なんていないでしょ、と思っていたら、結構いてビックリしました。 次に来るなら、紅葉の季節だな~。 祇王が愛でたお庭をもう一度。
by theway_Iam
| 2013-05-05 13:25
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